精神障害者の入居者

相模原市で、精神障害が疑われる(薬物中毒かもしれないが、、)人間が犯した19人殺害事件があったので精神障害者と無低をテーマにしてみる。無低の職員として働いている筆者だが、無低にも精神障害者やそれと思しき人間はいる。
厄介なのは、彼らには自分が異常であるとの自覚(病識)がない場合が多いことだ。
施設に火を放とうとする、夜中に奇声をあげる、などの行動は序の口である。実際に刃物沙汰で警察を呼んだこともある。
何人か精神科につないだこともある。保健所や警察、生活保護ケースワーカーと連携は必須だ。
そして、あまり言及されないが、精神障害や薬物中毒は、本人もつらいが、周りにいる家族等も大変つらいということだ。相模原の事件の犯人の両親も息子を見限り放置したことは想像できる。しかし家族を責めて終わりにすることはできない。想像を絶する苦しからは逃げる以外の選択肢はない。

入居者の行く先

無低の入居は、最終的にどこへ行くのか?
無低でも一般社会同様、高齢化が進んでいる。また、入居期間の長期化が進んでいる。本来ならば、生活困窮者が仕事を見つけて自立するまでの間、仮に住むところである無低だが実際は、老人ホームの一歩手前の施設となっている面もある。生活保護を受けている入居者は、食事、排泄といった日常生活ができなくなると介護扶助(生活保護の制度で介護サービスがうけられる)を使うため無低を退去していく。無低は、法律上介護サービスを受けられない施設だからだ。(建前上、働ける可能性のある者しか入居していないことになっているからだ。)
多くの者は、有料老人ホームへ行く。老人ホームで穏やかな最期が迎えられるのだろうか?

薬物中毒の入居者

プロ野球で活躍した清原氏が逮捕され、薬物依存症がクローズアップされている。無低に流れついてくる者に薬物依存性、アルコール依存症の者はやはりいる。飯場から流れてくる者たちに、薬物や酒で身を持ち崩した人間が多いのはご想像のとおりだ。
入居していた田中(仮名)は、非行少年だったときにシンナーを始めて、覚醒剤、酒、脱法ドラッグと一通りハマった。
元々は飯場を転々としてきた日雇い労働者だ。無低によっては薬物の犯歴がある者の入居を断るところもある。(トラブルを起こす確率が高いのは言うまでもないからだ。)
田中も入居後、しばらくして薬物所持と使用が発覚し逮捕された。
覚醒剤依存性は、自分の意思とは無関係に脳に作用する決して治らない病気だ。糖尿病と同じで一生をかけて付き合っていくしかない。薬物を使わない、クリーンな日を積み重ねていくしかないのだ。
後日談であるが、後に出所してきた田中は、民間の薬物依存治療施設に流れついたそうだ。今後、一生薬物依存症と付き合っていくことになる。清原氏にも荊の道が待っている。

タトゥーを入れた入居者

さて今日も福祉事務所経由で1人入居した。
年齢は43歳。もういい歳だ。この入居者は手の甲や指に入れ墨が入っている。ちゃんとした職人が彫ったものでなく自分で遊び半分でいれたダサい中途半端なデザインのもの。
これでは社会でまともな生活をして行くのは難しいだろう。
タトゥーに対するハードルが下がっているがよく考えて後悔しないようにしたほうがよい。



入居者数

 厚生労働省は10月7日、7月に生活保護を受給した世帯は162万8905世帯となり、3カ月連続で過去最多を更新したと発表した。無低の入居者もこの中に含まれる。生活保護受給者の全体数は増えているものの、皮膚感覚からすると無低の入居者は減っているように感じる。

東京オリンピックが決まり、一時的に日雇い土木の仕事が増えているからだろう。長期的には、無低の入居者数は横ばいで推移すると思う。



保護費の持ち逃げ

生活保護費の支給日に無低の入居者は、保護費を役所に取りに行く。
保護費から、無低の家賃、食費、管理費を払うのだ。中には、家賃や食費を払うことなく貰った保護費を持ち逃げする輩もいる。今日は、ある自治体の保護費の支給日だった。
保護費は、銀行振込か現金手渡しにより支給される。無低が入居者の通帳を管理している場合はとりっぱぐれはない。(今では役所の指導で、無低が通帳を押さえることもなかなか難しいが、、)
しかし、入居者の中には役所のケースワーカーに掛け合い現金で保護費を支給をしてもらっている入居者もいる。
今日は、入居者のひとりが保護費を持ち逃げして失踪した。各地で保護費を貰っては持ち逃げを繰り返す輩もいる。
無低が貧困ビジネスで入居者を搾取していることは否めないが、敵も海千山千。騙しあいは続く。


外国人の入居者

無低に日系人の入居者がいた。
佐藤(仮名)はブラジルに日系二世として生まれた。ブラジルで子ども四人をもうけて暮らしていたが、親の生まれた国を見たくなりバブル期に単身日本にやってきた。日本語もろくに話せないのにだ。ご存知の通り、バブル期の日本は人手が足りなくなり、日系人を労働力として迎えた。日系人は、高い賃金を求めルーツである日本を目指した。
自動車部品工場等のキツい環境で佐藤は必死に働き家族へ仕送りもしていた。やがでバブルがはじけ、工場を解雇になった。その後日本各地を転々としていたが、ヘルニア等を患いまたも仕事を解雇されホームレスとなった。
結果、生活保護をうけることになり福祉事務所の紹介により無低で生活するようになった。日本語は片言であり、佐藤は、日本の文化やもちろん他の入居者にも馴染めず、周囲とも軋轢が絶えなかった。
そして被害妄想の言動や意味不明の言動が多かった。最初は、言葉が理解できないためかと思ったがどうにも様子がおかしいため福祉事務所のケースワーカーに相談し精神科を受診させた。結果、統合失調症との診断。予想通りである。その後、病状が悪化し、無低を退寮し精神病院(閉鎖病棟)に入院した。おそらく一生病院から出てこれないだろう。
以下、雑感
シリアからの難民報道を受けて、日本でも移民や難民の受け入れの議論が進んでいる。
佐藤のような例を見ると、移民や難民の受け入れは慎重にしたほうがよいと思う。経済界の要望で日系移民を入れたはいいが、景気の悪化とともに用済みになり不良債権化し至るところで問題になりつつある。
少子高齢化対策や人道問題の解決も大事だ。しかし目先の問題を解決しようと外国人を受け入れて、手に負えなくなり頭を抱えることになるのはドイツのような移民を受け入れた国家を見れば当然の結末といえる。